絵を描く少女 |
暦上では春だ。だからいまだ続く肌寒さを嘆いていたのだが、どうやら今日で終わりらしい。そう思うことにした。高校生活最後の始業式ぐらい、心地よく過ごしたい。 そういえば、宿題がまだ終わっていない気がする。毎回のことではあるが、なぜか宿題ができない。いやまあ、理由はわかってるっちゃあわかってるんだけど。 そんな風に思いながらのんびり歩いて登校していると、後ろから俺を呼ぶ声がした。 「やっほー!お久だね。元気しょった?」 「温暖化温暖化ってみんな言ってるけどさ、全然寒いよな。石原良純の天気予報って当たんないよな」 「よくわかんないけど、要約すると元気じゃなかったってことだね」 元気出せよー! と、そいつはぽんぽんと俺の肩を叩いた。 実際、元気がないわけじゃない。まあ何というか・・・これはネタってやつだ。そういうふりをしているだけ。確かに宿題ができてないのはちょっと萎えるけど。 「なあ、柚(ゆず)、宿題できた?」 どんな返答をするのかは大体予想できたけど、一応聞いてみた。宿題ができない理由は、よくこいつとその他友達と遊ぶからだ。 「もちのろん!来週分の予習も終わらせてきたじぇ!」 柚は俺の状況を知っているはずなのに、とびっきりの笑顔でピースサインを作りやがった。 柚と俺は中学生の頃からの付き合いだ。柚の苗字は佐々木(ささき)で、俺の苗字は相馬(そうま)。入学して最初の席順は出席番号で決まるから、柚とは席が隣になった。それが話すようになったきっかけ。もともと気が合う性格どうしだったらしく、すぐに仲良くなって、今では俺の一番の友達だ。 「・・・なあ、宿題貸してくれん?」 「だめだよ〜」 またもやピースサインを作りやがった。 こいつは、部活が二時頃に終わって六時まで俺らと遊ぶ、というハードスケジュールをこなしていたはずだ。俺より何十倍も宿題をしにくい環境にいたはずなのに、何で俺ができなくてこいつができるんだ。・・・いや、完全に俺のせいなんだけど。 俺がため息をついてうつむくと、柚は、冗談だよー! と今度は背中を叩いた。 「毎回のごとくありがとな」 「いえいえ。それよかさ、やっぱり今日は遊べないよね?昼から小倉(おぐら)君たちとカラオケ行こうと思うんだけど」 いつものメンバーでカラオケか。凄く楽しそうだな。 「わりぃ。宿題写さんと」 「やっぱりか。ま、中学の頃からのお約束だけど」 柚はやれやれといった表情を見せた。俺だって遊びてぇよ。 一瞬、宿題の提出をサボろうとも考えたけど、教育指導兼体育担当の筋肉質先生、通称三年B組鬼の筋八先生を思い出したため、やめといた。 「そうそう、何組になったか知ってる?」 「いや、まだ知らんけど?」 「あたしもヒロも二組だって。七海(ななみ)が電話してきた」 「そうか。今年もよろしくな!・・・って、わざわざ電話?なんでそんなことしたんだ」 俺が呆れた風に言うと、柚はあう〜と口ごもった。 「・・・どうかした?」 柚が黙り込むようなことは珍しい・・・というのもおかしな話だが、とりあえずそういう訳だから、一応尋ねてみた。 「いやっ・・・その・・・いろいろあたしに話を聞きたかったらしいよ」 「何の?」 「まあ・・・恋愛とか・・・」 「相談でも受けてんの?」 「うん、まあ・・・その逆なんだけど・・・」 「逆?」 「ああ、いや何でもないっ!」 そう、これは何でもないのだ、たとえ地球が青くても火星は赤いんだ!・・・といつものように滅茶苦茶言いながら、柚は一人納得していた。 そんなことをしていると、学校に着いた。柚は青島(あおしま)七海を見つけると、走ってそっちの方へ行ってしまった。青島はなぜかこっちを指差しながら大笑いしていた。
始業式の日の学校というものは、LHRも含めて昼で終わる。そこから俺の格闘は始まった。柚の見事なできの宿題を借り、右腕に乳酸が溜まるのにも耐え、写して写して写しまくった。部活のない者は帰り、ある者は部活に出かけた。ちなみに柚は陸上部だが、昨日は大会だったので今日はないらしい。 「よっしゃああああああぁぁぁ」 完成して雄叫びを上げる。もう何回もしてる気がする・・・。 若干自分に嫌気が差しながらも、これを提出すれば今日は楽ができる、と気持ちを新たにする。時間を確認してみると、午後三時だった。今からカラオケに行っても十分遊べるだろう。 大掃除後できれいな階段を下りて職員室へ向かう。職員室前に張られている教師の席順を見ると、何人か新しい教師が赴任してきているようだ。俺のわかる限りでは、現代文と生物が替わっている。現代文は一番好きな教科だから、苦手な先生だったら嫌だな。生物はどうでもいい。誰が来たって変わらない。 目的の教師の席を確認して、職員室の中に入る。カーテンが開いてあって、太陽の光が差し込んでいた。窓の外には、その光を反射してきれいに光る桃肌の山があった。あれは学校の裏山だ。あのきれいな桃色は、桜の木だ。ただでさえきれいな桜の花びら一つ一つが光を反射しているから、あんなにきれいなんだ。 学校の裏山は、地元民として俺の密かな自慢だ。春には桜が咲き、夏には木々が元気よく生い茂る。秋には葉が赤く染まり、冬には雪が降ってきらびやかな銀世界だ。 そういえば、口に出さないまでもこれだけ絶賛している裏山を、一度も入ったことがない。高校に入ってこの山を知って、もう二年が経つ。一度も入ったことがないのは、なかなか不思議な気分だ。損している気もする。 もう一度時間を確認した。三時十三分。まだまだ余裕はある。
俺は中学生のときは陸上部だった。高校では静かな場所を求めて茶道部に入ったが、まだ体力は衰えてないと思っていた。 「ハァ、ハァ・・・」 こんなに体力って落ちるものだったのか・・・。 別にいい成績を残したわけじゃないし、ずば抜けて優れているわけでもなかったけど、やっぱりショックはショックだった。ちょっと山を登っただけなのに・・・。 見上げると、桜の木までの道のりはまだまだ長かった。思考が後ろを向き始めていたが、無理矢理前へ向けさせて再び歩き始めた。 十分ほど経った頃だろうか、さすがに疲れたから道に座り込んだ。狭い道だから通行人の邪魔になりそうだったけど、一度もすれ違ってないから大丈夫だと思った。途端、右の方から音がした。通行人かと思って向いてみたら誰もいない。どうやら虫か動物が動いただけらしい。 ・・・あれ? よく見てみると、その方向には草が踏まれた跡がある。それは俺の肩幅ほどの一本の線になっていて、山の奥の方へ続いている。 獣道というやつなのだろうか。 少し怖くなって早く離れようと思ったけど、寸でで考えを改めた。この方向には桜の木がある。目的のものがある。俺の行こうとしている道と比べると、この獣道のほうが早くたどり着きそうだ。だいぶショートカットできるだろう。 バカな考えだけど、俺はバカだからこの考えに従うことにした。怖いよりも興味があったし。 進んでいってわかったのだが、この道はまっすぐに進んでいる。定規を使ったかのようにきれいなまっすぐだ。この分だと、本当に早く着きそうだ。 奥に進むほど辺りは暗くなっていったのだが、やがて明るくなっていった。多分、この獣道のゴールに近づいているんだろう。 さらに進んでいくと、木々がたくさん生い茂る中に一つの空間が見えた。なぜか、そこだけ木がないようだ。そこまで少し速歩きで進む。 予想通り、そこには木々がなかった。正確に言えばあるんだけど、すべて幹を切られていた。ここに遊具を置けば公園になる、そんな広場だ。 切り株の一つに腰を下ろした。休憩の意味合いもあったけど、それ以上に、 「すっげぇ・・・」 きれいな桜の木を眺めていたかった。 その広場は桜並木の入り口みたいになっていて、裏山の桜をすべて見下ろせる場所にあった。その桜は学校で見る桜よりも何千何万倍もきれいで、俺の胸をはずませた。風に吹かれて散っていく花びらが、俺たちの住んでいる町を包む。太陽光を反射し、きらきらと星のように光って町を輝かせる。 長い間そんな絶景に見惚れていると、斜め後ろからほんの少し負の感情を帯びた声をかけられた。 「あの、すいませんが、少し退いてもらえませんか」 ぼけーっとしていた俺が慌てて振り向くと、そこには肌の焼けた美人がいた。 「え?・・・あ、はい」 その美人さんは右手に筆を持っていた。手や腕に絵の具がついているところから見ると、この景色を描いている途中に俺が現れて邪魔になっていた、というのが今の状況だろう。見惚れていて気がつかなかったんだ。彼女の後方を見てみると、画家が使うような道具が一式揃っていた。脚立みたいなやつに絵が留めてあって、その下にパレットやらが置かれていた。俺は素直に退くことにした。 「・・・・・・」 ありがとうとも何とも言わずに、肩甲骨より少し伸びた髪を揺らしながら持ち場へ戻っていった。 少し不満に思って彼女の後姿を見ていると、その服装が制服であることに気づいた。しかも、あれは俺の高校の制服だ。 ・・・あんなやつ、いたっけな・・・・・・? リボンが青色だから三年生ということになる。つまり、俺とは同級生だ。同級生なら、いくら女子といってもある程度は知ってるんだけど・・・。 まあ、いつか学校で会うでしょ。 時間を確認すると、もう五時だった。日が沈むのはまだ早いから、俺は帰ることにした。 あの獣道から帰ろうとしてその道に一歩踏み出して、ふと思った。 もしかして、この道はあの女子がつくったのか・・・? この広場に通じる道は、この道しかない。ということは、彼女はこの道を通ってきたということだ。普通、女子がこんなところを通るか?・・・まあ、柚なら通りそうだけど、でもあんな暗そうな感じのやつが通ろうと思うか?いや、それ以上につくろうとは思わないだろ。いや、でもこの道を通ってきてまで絵を描いてるんだから、もしかすると・・・。 ・・・絵? そういえば、あの絵はどうなっているんだろう。あの女子の描いている絵は。凄く熱心に描いているみたいだけど、あんなきれいな景色を描けるものなんだろうか。これ以上ない絶景を、本当に再現できているんなら・・・見てみたい。 俺は急遽曲がれ右をして、できるだけ彼女の視界に入らないようにしながらそっと近づいた。 「っ・・・・・・!!」 凄すぎて声が出なかった。声を出さないようにしていたのではなく、本当に素晴らしくて声が出なかった。 再現できていた。花びらの散り様も、星のきらめきも、何もかも見事なまでにすべて。一瞬一瞬の感動が、余すことなく切り抜かれていた。 見惚れてぼけーっとしていると、また彼女に声をかけられた。 「・・・なんですか?」 しかし、今度は何も感情が込められていなかった。あえて言い表すなら、無。 「い、いや・・・すげぇなって思って」 「そう?そうは思えないけど」 こんなに凄い絵を描いているのに簡単にそんなことを言う。 「いや、これはすげぇだろ。マジで写真と間違えられてもおかしくねえって」 「・・・写真」 ・・・あれ。なんでだ?褒められてんのに、何で悲しそうな声を出すんだ? 「褒めたつもりだったんだけど・・・気に障ったなら謝る。ごめん」 「・・・え?」 「いや、なんか悲しそうだったから」 「・・・そう?まあ、というかその・・・う〜ん・・・・・・」 謝ったら考え込んだ。この女子は、さっきから行動がおかしい気がする。言う通りに退いてやったら不機嫌に帰っていくし、勝手に絵を見たらどうでもいいって感じだし、すげぇって褒めたらこれまたどうでもいいって感じだし、写真みたいって褒めたら悲しむし、今みたいに謝ったら考え込むし・・・。 全く訳がわからない。 同じ褒めるにしろ、二通りの反応って贅沢だな。なんですげぇが良くて写真がだめなんだ? 「写真・・・ってさ」 やっと考えがまとまったらしい。 「どういう意味で言ったの?」 その割には意図のわからない質問だ。 「そんなこと聞かれても困るんだけど・・・まあ、まるまる紙に写し込んだって感じ」 「それは、一瞬を紙に描いただけってこと?時間を切り抜いて、それを紙に貼っただけってこと?」 「う〜ん・・・まあ、そんな感じ・・・・・・だと思う」 わざわざ「だけ」を付けて言うのは気になったけど、言ってることは正しいと思うからうなづいとく。 彼女は一瞬目に悲しみの色を浮かべたが、すぐに俺に背中を向け、絵の具等の片づけを始めた。 俺はすぐに帰ってしまおうかと思ったけど、あんな目をされて、あんな小さな背中を見せられたら、帰るに帰れなくなって、結局その片づけを手伝うことにした。それが終わると、俺たちは一緒に帰った。辺りはそろそろ暗くなろうとしていて、彼女一人では危ないと思ったからだ。俺が怖いと思ったからではない。・・・いや、本当に断じてそういうわけではない。 帰る途中、会話はほとんどなかった。彼女から話しかけてくることはないし、俺も彼女の喜怒哀楽の摩訶不思議さに振り回されたくないから、自分から話しかけなかった。 ただ、名前と部活と組は聞いといた。名前は柊 春花(ひいらぎ はるか)。部活は何も入っておらず、帰宅部らしい。あんなに絵が上手いのに、何で美術部に入らないんだろう。絵が嫌いって訳でもなさそうだし。第一、何で普通科の学校にいるのか。あとそれと、組は三年二組とのこと。・・・あれ、俺と一緒だ。始業式、いたっけな?制服着てたってことは学校の帰りだったわけで、つまり始業式には出ている・・・はず。 山を降りると、すぐに別れた。柊さんは電車登校ならしく駅に行き、俺の家はその駅の反対方向にあるからだ。 今日はいろいろと疲れた。きれいな景色と絵を見れたのは良かったけど、山登りと変な会話には疲れた。 帰ってすぐに布団に倒れこむと、そのまま眠りに落ちてしまった。
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