親指

桜の季節は短い。

当たり前のことだけど、俺は柊と出会ったことによってそれを再認識した。

あいつの桜の絵を見れなくなるのは、ちょっとだけ寂しいんだ。

あいつの絵と桜のコンビはほんとに素晴らしくて、俺は魅了されてしまった。人生で初めて熱中できるものができたと思った。

そう思えたのも、たった二週間のことだった。

あんなにきれい咲いていた桜は、尋常じゃないスピードで散っていった。その散り様が美しいのではあるんだけど、やっぱりもうちょっと見ていたかった。

「あらら、桜が名残惜しいんですか?」

窓の外の裏山を見ていた俺に、柚が話しかけてきた。

「まあな」

「そんなロマンチストだったかなぁ?」

「あれ?俺の好きな映画は『ロミオとジュリエット』だってこと、話してなかったっけ?」

「あれ?『ミッション・インポッシブル』じゃなかったっけ?」

柚は前髪に付けている緑色のヘアピンを調節し直しながら、勝ち誇った笑みを浮かべている。

はぁ・・・最近は負けが込んでるな。五、六連敗している気がする。

「よい、ヒロ。お前、今日暇か?」

教室の入り口へ目線を向けると、小倉がこっちに歩いてきていた。

「いや、今日はいいや」

「ええっ、また!?最近付き合い悪いな、おい」

小倉はげんなりとそこら辺の椅子に座った。

「そういえば、ホント付き合い悪いよね。最近どこ行ってんの?もしかして・・・これ?」

いつの間にか柚の後ろにいた青島が、柚の背中に抱きつくようにしながら、立てた小指を見せつける。

「んなわきゃねーだろ。むしろこっち」

俺が親指を立てて見せると、全員が一歩後ろに下がった。

・・・そんな本気で受け取らんでもいいと思う。

「でも、本当に最近どうしたの?」

青島の問い。

「う〜ん・・・となぁ・・・」

言おうかどうか迷った。別に言ってもいいとは思うんだけど、たまたま知った俺以外に知っている人がいないから、もしかしたら・・・。

「家でぐっすりと、な」

結局、言わないことにした。

「ホントか〜?」

青島は疑いで目を細めて、小指をぐりぐりと押し当ててきた。だから女じゃねぇって!

いや、一応女といえば女か。まあだけど、恋人ではない。絶対にない。

俺が目で否定すると、青島は柚をひじで小突き、柚はこちらに冷ややかな目を向けてきた。Mなら踊り狂うほど嬉しいだろう。ちなみに、俺はMじゃない。

「ま、というわけで、今日は無理っさ」

片手で手刀を作り、ごめんなのポーズ。小倉がさらにげんなりする。いやほんと、げぇんなぁるぃって感じ。

遊べないだけでこんなにもしてくれる友達がいるっていうのは、俺はなかなかの幸せ者かもしれない。

 

 

放課後、俺は小倉の再度の誘いを断って学校を出た。

いつもの山を登り、いつもの道を通り、

「・・・また来たの?」

いつもの声を聞く。

「いつでも来ていいって言ってたじゃんよ」

「・・・まあ、うん」

柊は絵から目線を離さず、小さく答えた。

声だけを聞くと、言葉ほど嫌ではなさそうだ。まあ、あれだ、いわゆるツンデレってやつだ。きっとな。

近づいて絵を覗いてみる。桜の絵ほどではないけど、やっぱりきれいだ。だけど、柊はこれでもまだ納得していないらしい。

俺には、柊のこだわりがよくわからない。

この絵でも十分きれいだ。本物と区別がつかないほどに。テレビで時々見る風景画より、俺はこっちの絵の方が好きだ。

ただ、今そう思うのは、柊が幼少の頃に見た絵を、あいつのこだわりを持つきっかけとなった絵を、見たことがないからかもしれない。それ故にそのこだわりを理解できないのかもしれない。

だから、俺は見てみたい。時間の経過が感じられる、そんな動く絵を。

「柊」

「・・・なに?」

「いつぐらい描けそうだ?」

「この絵なら今日中には完成できそう」

「そうじゃなくて、お前の目指している絵はどのくらいで描けそうだ?」

「・・・わからない」

まあ、予想通りの回答ではあった。そっか、ありがとう、と言って、近くの切り株に腰を下ろす。

柊の見た絵が今どこにあるかわからない以上、柊がそういう絵を描かなければ俺は見ることができない。だから、柊には頑張ってもらわないと。

そう思って柊を見ると、俺の目線もなんのその、ただひたすらに絵を描いていた。対象とする木とパレットの色を見比べたり、手に塗って水加減を見てみたり、一度立って全体の風景を確認したり・・・。

そんな姿を見て、ふと思った。柊ってかなりの美人なんだよな。

年がら年中外で絵を描いているらしく、肌は日焼けして少し荒れているが、それを補って上回るほど他のパーツがきれいだ。目は大きく二重で、鼻はすらっとしてて、唇は薔薇のようで、適度に痩せていて、最近肩甲骨まで切った黒髪は太陽光を反射してきれいに輝いている。

こんな美人と二人っきりでいる。

一度、心臓がドクンッとはずんだ。

もう一度、ドクンッとはずんだ。

サッ、ザッ・・・。

道の方から音がした。草を踏むような音だ。話し声も聞こえる。俺と柊以外がここに来たことはないから、驚いて心臓の高鳴りも治まり、その道を見た。

小倉と青島だった。

「やっぱ女だったんかい!」

小倉のランニングチョップが俺の胸に炸裂する。肺への衝撃が凄くてむせてしまう。

「てめぇ、しかも柊さんじゃねーか!めがっさ美人じゃねーか!」

「な、ゴホッ・・・なんれここに・・・?」

「後をつけてきたのよ」

答えたのは青島だった。 

「絶対なんか隠してると思って。柚のためにも・・・ね」

青島は思いっきり意地悪そうな笑みを浮かべた。残酷な女王様みたいで怖い。

「そうそう、佐々木は部活で来れないからな!」

小倉はほとんど涙目だ。そんなに他人が美人さんといるのが嫌か。裏ではジャニーズに滅茶苦茶言ってそうだな、こいつ。

「ホントに女だったとはねぇ・・・。あたし引いちゃった」

「いや、こいつとはそういう仲じゃねぇよ。ほら、あの絵を見てたんだ」

俺が指差す方向を、青島と小倉が見る。

「えっ・・・これ柊さんが描いたの!?」

最初に驚きの声を上げたのは青島だった。それに対し、俺はこくりとうなづく。柊は完全に無視している。

「うわっ、マジで!?これ学生のレベルじゃねーだろ!!」

小倉は驚き半分、感動半分って顔で絵に見入っている。

「なあ、柊さん!」

「・・・なに?」

「これ、いつぐらいに完成すんの?」

「・・・多分、今日中には」

「マジで!?描くとこ見させてよ!」

「う、うん・・・」

小倉と柊の会話は初めて見るけど・・・なかなか面白いな。柊の困り具合が特に。小倉は一回興奮すると手をつけられなくなるからな。

「じゃあ、あたしも見せてもらおっかな」

青島は絵が見えやすい位置にある切り株に座った。小倉はその横にある切り株に座る。俺は小倉の隣へ。

・・・まあ、いっか。二人っきりじゃなくても。たまには大勢で柊の絵を見るのも楽しいかもしれない。

柊には迷惑をかけているかもしれないけど、不思議とそうではないような気がした。むしろ柊はこれを楽しんでいる気がした。

なんでそう思うのって聞かれたら困るけど、柊の声を聞くと、なんとなくそう思う。小倉との会話でも、困ってはいたけど迷惑そうではなかった。青島の意地悪そうな笑みにも、普通に冗談っぽく流していた。

なにより、俺と初めて会ったときのような、何て言ったらいいのかよくわからないけど、人を邪魔者のように見る目はもうしていない。

ほんのちょっとだけ、柊に笑いかけてやった。理由はないけど。柊は絵に集中しているから気づかないけど。それでも、そうしてやりたかった。

 

 

今日は、夕方までこいつらと一緒に柊の絵を見た。柊の予想通り、絵は今日中に完成した。

「・・・それ、あげる」

道具を片付けながら、珍しく柊が自ら話しかけた。小倉にだ。

「え、いいの?」

「うん・・・」

柊の言い方があまりにもぶっきらぼうだったから、小倉は受け取っていいものか判断しかねていた。俺が小倉の肩をぽんぽん叩いて親指を立てると、小倉は顔を歪めて一歩引いた。ホモって意味じゃなくて、グッドラックって意味だったんだけどな。その設定、まだ生きていたのか・・・。

俺のフォローが失敗したので、本人から言ってやれと思い柊を見やる。

柊は、くすくすと笑っていた。

ちょっとばかし驚いた。青島もそれに気づき、不思議そうに柊を見ている。

どこに笑うところがあったんだろう。

気になったから、さりげなく近づいて聞いてみる。

「どうしたんだ?」

「いや・・・ドンマイだなって思って」

「・・・なんのこと?」

「ホモと間違われてた」

あ、なるほど。さっきの俺が小倉に親指を立てて見せたところか。てか、俺のフォローに気づいてんなら助けてくれよ。

「普通、グッドラックの方が一般的だと思うんだけどな」

「わたしもそう思う」

片づけを終わらせ、その道具を切り株の上に置く。まだ笑いの余韻が残っているのか、柊はいつもの無表情ではなかった。

「よっしゃ、帰ろうぜ」

俺がそう言うと、少し離れていた青島と小倉が小走りに近づいてきた。

それから歩いて獣道を通り、本来の山道へ出る。俺と小倉はバカな話をして、青島と柊は絵について話し合っている。青島が一方的に質問しているだけだけど、俺の頭の中に先ほどの笑っている柊の印象が強く残っているのか、柊はどこか楽しげに見えた。

・・・あれ?

そういえば、柊はなんで俺が教室でちょっとしたホモ扱いを受けたことを知っているんだろう。近くで聞いていたんだろうか。もしそうなら、話の輪の中に入ってくれば良かったのに。

まあ、さっきまであの四人の中で俺以外とは口を利いたことがなかったんだから、仕方ないといえば仕方ないか。

でも、明日からは、きっと・・・。

山を下ると、俺たちは三手に別れた。俺は自宅へ、小倉はバス停へ、青島と柊は駅へ、それぞれ帰るべき場所へ向かった。

次に会うときは、明日だ。

 

 

 

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