雨の日 後編 |
「あ、あそこ行こうよ」 先ほどの服屋の三軒隣に、佐々木さんの指すものはあった。 「CDショップ?柚の好きなのって、マキシマム・ザ・ホルモンだったっけ?」 「そ。新譜はもう持ってるんだけど、インディーズ時代のでまだ買ってないのがあるんだよね」 佐々木さんは駆け足気味にその店に入っていった。残りの二人は遅れて入る。 「柊さん、好きなバンドっている?ソロの人でもいいんだけど」 佐々木さんが小さな店の中を所狭しと探しているのを横目に、青島さんが聞いてきた。 「・・・いない」 「そっか。というか、CDを一枚でも持ってる?」 わたしは何も言わず、首を横に振った。 「そう。何か貸そうか?」 「・・・いや、いい」 どんなのを借りればいいのかわからないし。 そう、とだけ言うと、青島さんは何枚も羅列するCDの中から一枚を取った。表紙を見て、背表紙を見て、元の場所に戻す。 佐々木さんは目的のものを見つけたらしく、嬉しげな色を顔に浮かべながら値段を確認する。しかし、その色はすぐに明るみを失った。お金が足りなかったのだろう。 わたしは、そんな二人の様子を、ただ眺めていた。 「・・・マキノ・オブ・ホルモンって何?」 特に意味はないけど、聞いてみた。本当に意味はないけど。 「マキシマム・ザ・ホルモンね。『内臓の牧野』ってあだ名、さすがに嫌でしょ」 青島さんは苦笑しながら答えてくれた。 ・・・確かに。自分で言ったことだけど、凄く恥ずかしい。どう聞き間違えたんだろう、わたし。 「まあ、最初は間違えるよね、この名前。長ったらしいし。・・・で、質問に答えると、四人組のロックバンドよ。デスボイスが一番の特徴かな」 「・・・ですぼいす?」 聴き慣れない言葉に眉をひそめる。なんだろう、ですぼいすって。デス・ボイス? 「説明するのは難しいんだけど・・・喚き散らした声って感じかなぁ」 青島さんは首をかしげる。そこへ、 「言い方が悪いよ、七海!春にゃん、勘違いしちゃうじゃん!」 佐々木さんが走ってきた。こんな狭いところだから、二、三歩程度だけど。 「だってそうじゃない」 「どこが!?心の地を猪が駆け回るような、そんな人を熱くさせる声じゃないか!!」 「・・・よくわからないんだけど」 青島さんが呆れたように目を細めると、佐々木さんはチッチッチッと人差し指を左右に振り、デスボイスおよびマキシマム・ザ・ホルモンについて語りだした。
マキシマム・ザ・ホルモンとは、 ギターのマキシマムザ亮君、ボーカルのダイスケはん、ベースの上ちゃん、ドラムのナヲによる四人構成である。ボーカルはダイスケはんの担当となっているが、他の三人もボーカルをこなす。特にマキシマムザ亮君のボーカル頻度は高い。曲はヘビメタと呼ばれるジャンルが多く、日本のデスボイスを扱うバンドの代表格となっている。ギターはパワーコードを多用しているため難易度は高くないが、ドラムやベースのそれは高い。 ・・・・・・佐々木さんの説明で、だいぶ詳しく覚えてしまった。あの無駄に熱血な語りから何時間も経つのに、わたしの頭から消える気配がない。 どうしてこんなにもくっきりと脳に刻み込まれているんだろう。佐々木さんのせいだ。きっと。 「もうそろそろ帰る?電車、大丈夫?」 佐々木さんって、わたしたちと違って徒歩通学だっけ。 「あたし、帰ろっかな。柊さんは?」 「わたしも、そろそろ」 別にまだいても良かったんだけど、なんとなく。 「じゃあさ、最後にプリクラ撮ってかない?」 佐々木さんがニコニコしながら言った。青島さんがそれに微笑を返す。 「うん、わかった。柊さんもいいよね?」 「・・・うん」 一人だけ撮らないっていうのも、なんか変だし。 ゲームセンターに行くと、喧騒がわたしを包んだ。いつもより大きな声を出さないと、会話もままならない。わたしには苦手なところだ。 「どれにする?」 佐々木さんが苦もなく声を通す。青島さんが三つ並んだ乗り物みたいなものの内、真ん中のを指した。佐々木さんはこくりとうなづき、その乗り物の中に入っていく。わたしと青島さんもそれに続く。 中では喧騒が遮られ、会話がだいぶ楽になった。 「よし、早速撮ろう」 佐々木さんがボタンをピピピと押すと、やけに明るい女性のナレーションが響き渡った。うるさいくらいだ。 「じゃ、撮るよ」 さん 佐々木さんがピースサインを作る。 にぃ 青島さんもそれに従ってピースを作る。 いち えぇっと・・・わたしもピースを作ればい パシャッ え? 「春にゃん、早くしなきゃ!」 「いや、でも、どうすれば・・・」 「適当にポーズ作って、笑っとけばいいのよ」 青島さんは簡単にそう言うけど・・・どうすればいいのかわからない。 「春にゃーん!!」 迷っていると、何の脈絡もなく佐々木さんが飛びついてきた。ぎゅうって抱きつかれる。 「え・・・なに」 パシャッ 「お、今の顔いいよ」 そんなことを言いながら頬をすりすりとされる。なんなんだ、急に。 「それじゃ、あたしも抱きついちゃおっかな」 青島さんまで抱きついてきた。 パシャッ ・・・いや、まだポーズとれてないんだけど。 「えぇっと・・・なに?」 「たまにはこういうのいいかもだよー」 「柚の言う通りよ」 青島さんがわたしの頬をつかんで、左右に伸ばす。いひゃい。 顔をぶるぶる振ってその手を離させようとすると、またパシャッとプリクラ気が音を立てた。 「・・・急になんなの」 しかしわたしの問いには誰も答えず、二人はなおもわたしに絡みついてきた。佐々木さんはともかく、青島さんはキャラが変わりすぎだと思う。 わたしは諦めた。この二人の笑顔を見ていると、そう思わざるを得なかった。 いつもこうなのだろうか。プリクラとは、そこまでハイになるほど楽しいものなんだろうか。 パシャッ この音がする度に写真が撮れる。ほら、また一枚撮れた。パシャッ、パシャッ。ただそれだけ。抱きついて、笑顔になって、その様子が紙に写されるだけ。 楽しいはずがない。笑えるはずがない。 なのに、何でみんなは笑顔なんだ? パシャッ パシャッ わたしはやっぱり、一人浮いていたんだ。 「春にゃん、楽しい?」 顔はカメラに向けているけど、声はこちらに向けていた。 「・・・うん、まあ」 場合が場合だっただけに、本心を言うのは気が引けた。わたしだって、ある程度は空気を読める。 「そっか。そりゃあ良かったよ。楽しくないんじゃないかって、ずっと心配してたんだよ」 「・・・え?」 佐々木さんが、心配? わたしは驚いた。そんな素振りなんて見せてなかったと思うけど・・・。 佐々木さんはポーズを変えて、言葉を続ける。 「春にゃん、こういうとこ好きじゃないイメージなんだよね。失礼かもだけどさ。で、見てて楽しそうにしてなかったからちょいと心配で、今みたく抱きついて無理矢理笑わせようとしたんだけど、取り越し苦労だったみたいだね」 いつものうるさい感じではなく、可愛い声で照れたように笑う。前髪の緑のヘアピンが凄く似合っている。 「せっかくキャラ崩したのに・・・残念」 青島さんが深くため息をつく。佐々木さんが青島さんに向かって中指を立てる。 「HAHAHA、ミーをからかった罰が当たったんだYO!!」 「・・・ま、今日はそういうことにしといてあげましょうか」 青島さんが妖艶な目つきで佐々木さんの瞳を見つめる。いや、睨む。先ほどまでの威勢はどこへやらで、佐々木さんはたじろいでしまっていた。 こんな風にじゃれ合いながらも、この二人はわたしのことを考えていたんだ・・・。 「ありゃ、次でもう最後だって」 恥ずかしいな。一人だけ後ろ向きだったんだ。 さん 「そうね」 「ほら、春にゃんも!」 佐々木さんがわたしの肩をがしっと掴む。そして、自分の目の横に横ピースを持っていく。 にぃ 「最後ぐらい、いいの撮ろうね」 青島さんがわたしに笑顔を向ける。 この二人のおかげで、今は前を向いている気がする。この二人と同じ方向を見ている気がする。 いち その二人が笑っている。なんの雑念もなく、無邪気に。だから、わたしもきっと・・・。 パシャッ
「春にゃん、どれがいい?」 「・・・どれって?」 プリクラ機の外、側面のくぼみの中、上向きに取り付けてある画面を見ると、それが八つに区切られていて、それぞれが星や蝶で満たされていた。 「背景の決定だよ〜。撮った一枚一枚にお好みの背景を付けれるんだよ〜」 「・・・そう」 そう言われてもな・・・。正直、どれでもいいんだけど。 「・・・わたし、どれでもいい」 「そ?じゃあ、七海は?」 「う〜ん・・・」 青島さんは唇に指を当てて数秒考えると、これ、これ、これ・・・と、佐々木さんの意見を交えながらどんどん決めていった。 そして、最後に撮ったのだけが残った。 「これで最後だね!」 「ええ」 「どうする?七海の好きなようにしていいよ」 「そう?」 画面を見て、それからわたしをチラッと見る。そして、また画面を見る。 「柊さんって、何色が好き?」 急に振られて答えられない。少し間を取って言葉を口にする。 「えぇっと・・・桃色。薄めの」 「薄めのピンク?」 「うん。桜の花びらの色」 「あ、それなら桜があるかも」 青島さんが画面を何度か押す。そのたびに画面が切り替わる。いくらかして、目的のものが見つかったのか、決定の字を押した。 プリクラ機が音を立てる。あまり気持ちのいい音ではない。音が止むと、ウィーンと写真が一枚出てきた。佐々木さんがそれを取る。 三人でそれを見た。わたしと青島さんは覗き込む格好だ。 「はぁ・・・やっぱり柚には勝てない」 青島さんは脱力し、プリクラ機に背を預けた。佐々木さんは盛大にガッツポーズをしている。 佐々木さんって、写真写りいいな。青島さんも悪くはないけど、さすがに相手が悪い。 まあ、わたしはそれ以前の問題だけど。 「七海は笑顔が女王様って感じで怖いからね。特に最後のなんか」 手をひらひら顔を仰ぎながら、佐々木さんが勝ち誇ったように笑う。その女王様から冷たい視線を浴びていることに気づいていないようだ。 ・・・最後の。最後のは、わたしは・・・。 よくわからないけど、凄く気になった。最後の最後、遅すぎただろうか。 女王様の視線に気づいた佐々木さんが固まっているのも気にせず、手に持っているプリクラを覗き込んだ。そして、一番右端のを見る。 「・・・あ」 両手で口を押さえた。声が出てしまいそうになったからだ。 なぜかはよくわからない。今日はよくわからないことが多すぎる。 ただ、確かなことは。 その中にいたわたしは、微かにだけど、笑っていたんだ。 「ねえ、柊さん」 いつの間にかわたしの前にいた青島さんが声をかけてきた。その後ろには、涙を拭うようにまぶたに指を当てている佐々木さんがいた。わたしの知らない間に何があったんだろう。 「・・・なに」 にやけそうだったから、口を押さえたまま。 「CD貸すよ。ドゥアズの。Do As Infinityの」 「・・・どうしたの、急に」 「なんとなく、ね。なんとなくよ」 意味深な笑みを残して、青島さんは、帰ろう、とドアの方角を指した。わたしの、それから、佐々木さんの顔を見る。 青島さんが歩き出し、佐々木さんがビクつきながらも隣へ行く。わたしは胸の奥底をくすぐるような感覚に襲われて、口に当てていた手を胸に持っていき、立ちすくんでいた。 そんなわたしに気づいて、佐々木さんが立ち止まる。片手でメガホンを作りおーいと叫び、もう片方の手を大きく振る。 青島さんはその声で気づき、後ろを振り返ると、優しい笑みを浮かべながら手招きをした。 今はまだ、この距離にいるんだろうな。 でも、この二人はわたしを待ってくれている。わたしのために、立ち止まってくれている。 あとは、わたしが進むだけだ。 わたしは精一杯の力で、二人のもとへ走っていった。
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