ドクン、ドクン |
梅雨というものはすさまじいもので、程度は違えどここ二週間ほどずっと雨だったが、今日はそんな日が嘘だったかのように雲一つない。 まだ乾ききっていない歩道を通り、これまた乾ききっていないグラウンドを横切り、校舎に入る。 三年二組の教室は三階にある。文化部には少々きつい階段登りを終えて、自分の教室にたどり着いた。 「よっ、おはようさん」 「おう」 小倉と短い挨拶を交わし、席に着く。すると、小倉がちょっとばかし気持ち悪いニタニタ顔で近づいてきた。 「な、なんだ?」 「俺、前々から気になってた人いるんだよね〜」 でへへへヘ、と笑う小倉、非常に気持ち悪い。 「・・・誰だよ」 「なんだよ、知らねーの?俺ら、何年の付き合いだよ」 二年の付き合いだからこそ、お前が高頻度で好きな人が変わるのを知っているんだけどな。 「で、誰?」 「三組の村松さん。茶道部の部長さんだよ」 小倉は後ろ手に隠していた細長い箱を見せる。それはきれいに包装されていて、村松へのプレゼントだということは安易に想像できた。 「お前さあ、自分で渡せばいいじゃんよぉ」 「あんま話したことないんだから、仕方ねーだろ。お前なら同じ部活だし、渡しやすいだろ?」 「まあ・・・そうだけど・・・」 こいつすぐ浮気するから、仲介役はしたくないんだよな。 嫌そうな目で小倉の顔をにらむと、意に介さない様子で机にプレゼントを置きやがった。もう慣れたけどさ。 「しゃあねえな。渡しとくよ」 茶道部なんかサボって、今日は久しぶりに柊の絵を見に行こう、と思ったんだけど・・・まあ、いっか。 そう思って柊に目をやると、彼女の机の周りには青島と柚がいた。三人で雑談しているようだ。 最近、柊はそうしていることが多い。移動教室のときも、あの二人と行動している。柚は部活だからしょうがないとして、青島とは放課後に一緒に遊ぶときもあるっぽい。いつの間にあんなに仲が良くなったんだろう。 柚が何かを言った。青島が呆れ顔で何かを返す。柊がくすっと笑う。 柊が、笑う。 「・・・はぁ」 「なんだなんだ、佐々木が他のやつに盗られたのが悔しいのか?」 「んなわけあるか」 頬杖を突いて、小倉を見上げる。俺をからかうような笑みを浮かべていた。こっちの笑顔は気持ち悪い。キモい。 「ヒロ、お前もう佐々木と付き合っちゃえよ」 ニタニタとキモい。 「やだよ。柚と付き合うぐらいなら、アグネス・チャンと付き合うよ」 「俺、結構アグネス・チャンはありなんだけど」 「マジか」 あはは、と二人で笑う。 「でも真面目な話、佐々木って結構いいと思うぞ。顔は普通に可愛いし、部活も県予選を突破したっていうし、成績も学年でトップテンに入るらしいし」 確かに、柚は魅力的な人だと思う。小倉の言う通り、文武両道で才色兼備なやつだ。まあ、俺の場合、顔はそこまで好みじゃないけど。でも、中の上ぐらいにはいると思う。 「それでも好きじゃないんだから仕方ねぇだろ」 「あんなに仲がいいのにか」 小倉が不服そうな顔をする。こいつはどんな言葉を期待していたんだ?まあ、大体予想できるけど。 「みんなそう思ってんのか知らんけど、柚はただの友達であって、好きとかそんなんじゃねーっての」 「お前、佐々木が好きじゃないって言うことは、好きなやつがいないって言うのと同じことだぞ。下の名前で呼び合ってる女子って、佐々木しかいねんだろ?」 「だからって、柚を好きな理由にはならんだろ」 「漫画じゃないんだし、幼馴染か恋人でしか普通呼び合わねぇよ。お前ら、幼馴染じゃないんだろ?」 「まあ、そうだな」 「じゃあ、恋人だ。お前ら恋人だ」 小倉は鼻息荒く胸を張った。 「だから、違うって」 「んじゃ、好きなやつがいないって言うのか?思春期真っ只中のお前が?・・・あ、そういえばお前ってホモだったな・・・・・・」 いや、そんなに哀れんだ目で見られても。てか、その設定、まだ続いていたのか・・・。 「好きなやつがいないんだよ」 嘆息交じりに答えてやると、はあ?と挑発的に異議を唱えてきた。 「いなきゃおかしいだろ。俺なんか今、何人好きなやつがいると思ってんだ」 おい、プレゼント渡す俺の立場を考えろっての。 「小二の頃に一回好きなやつできたけど、それ以来好きなやつできないんだよ」 「それ、前にも聞いたけどさ、マジだったんか」 「マジだよ」 小倉の表情を見る。それは俺を疑いかかっている感じで、本当に信じられないといった感じで、俺は心の中でたじろいだ。 世間一般的な考えでいえば、小倉の言うことが普通なんだろう。好きなやつがいて、そいつに好かれるように頑張って、一喜一憂して、恋愛に勤しむ。部活一筋!とか、目標東大合格!とか、そういう例外のやつもいるだろうけど、俺みたいに特に目指すもののない者は、普通は恋愛にいくらか興味があるはずだ。 だけど、俺にはそういうのがない。恋愛に限らず、一生懸命に頑張ろう、と思えるようなものがない。 物心ついたころからずっとそうだ。 そう考えると、柊は凄いな。小さい頃に見た絵を、いまだに追い続けている。俺みたいにそこら辺をうろちょろしてないで、一つの定まった場所に向かって走り続けているんだ。 俺と柊の間には、どれほどの距離があるんだろう。何年かかっても埋まりきらない差なんだろうな。 柊を見る。彼女は笑っていた。 「・・・はぁ」 「ほら、また見た。佐々木のこと好きなんだろ?そろそろ認めろよ」 「俺のこと、全然信頼してないだろ?」 半眼で小倉を見、俺はもう一度ため息をついた。
七時限目終了のチャイムを聞き、俺は帰り支度を始めた。かばんに入れた村松さんへのプレゼントがチラッと見える。いや、いいんだけどさ。 和室に着くと村松さんはもうそこにいて、部の準備を始めていた。 「珍しいね、部活来るなんて。いつから来てないっけ?」 「詳しくは覚えてないけど、昨年度の冬ぐらいじゃないか?」 「じゃあ、新入生知らないんだね」 俺の部活怠慢は気にしない様子で、村松さんの顔は明るかった。 「そうだな。どんなやつが入ったんだ?」 「相変わらず女子ばっかりよ。みんないい子で、覚えも早い」 「俺とはできが全然違うな」 ははは、と村松さんは笑う。よし、この流れで渡してしまおう。 俺は準備の手伝いから手を休め、かばんから例のプレゼントを取り出す。村松さんは不思議そうに俺の行動を眺めている。 「何それ?」 「小倉から村松へのプレゼント」 「あ、そういえばわたし、今日誕生日だったわ。・・・って、小倉君?」 「おう」 「そっかぁ・・・」 村松さんは空中に視線を漂わせる。接点のない小倉からプレゼントを貰って、多少の困惑があるんだろう。 「まあ、いいや。今日は部活してくよね?」 「んじゃ、そうしよっかな」 渡すだけ渡して帰るってのもなんか気まずい。それに、久しぶりに静かに過ごすのも悪くない。元々この男子が極端に少なそうな茶道部に入ったのは、それでも静かに過ごしたいと思ったからだ。 みんな俺に対して、茶道部ってイメージじゃない、と言う。確かにそうかもしれない。バカみたいに騒いだりするから。 だけど、俺はこういう場所が好きだ。むしろこういう方がいいのかもしれない。 まあ、家で一人で過ごす方が好きだから、何ヶ月も部活に来てなかったんだけど。 あと、柊の絵を見るために。 「・・・そういえば、他のやつらは?」 準備を終えた後、今更ながらに気づいた。 「多分、修学旅行の説明会だったと思うよ。一年は知らないけど」 「そうか。それじゃ、俺も勘を取り戻さなきゃいけんし、先に始めようか」 「うん」 ちょっと自分勝手な理由だったけど、村松さんは快くOKしてくれた。
やっぱり静かな所は気持ちが安らいでいい。朝から得体の知れないものが心臓に絡みついて妙な気分だったけど、今はだいぶ落ち着いている。 傍から見れば退屈そうな茶道も、実際やってみれば気分のいいものだ。今度柚にでも勧めてみようか。嫌がるだけだろうけど。 「うわ、まぶしっ」 赤くなりかけている陽射しが目に入り、思わず呟く。 この高校では、どんな部活でも六時までには下校するよう義務付けられている。したがって、この時間にここにいれば・・・。 「オス、一緒に帰らん?」 「うん!」 右の拳を前に突き出し、左の拳を引き、空手の正拳突きのポーズ。部活終わりにこの元気、感動とは違う方向で凄いと思った。 柚は汗で光る額を拭きながら走ってきた。 「今日、部活出てたの?」 「おう、まあ・・・色々あってな」 苦笑して、歩き出す。 そういえば、柚と一緒に帰るのも久しぶりだ。柚は部活だから、普段部活をしていない俺とは必然的に予定がずれる。今日みたいに俺が部活をした日にしか一緒に帰ることはない。 とはいえ、中学生時代はよく一緒に帰ったものだ。同じ陸上部だったから。今でこそ貧弱になってしまった俺だけど、昔はバリバリの百メートル走者だった。柚ほどいい結果は残せなかったけど。 「もうすぐ大会だな。どうよ、調子は」 「これがまたいいんだよぉ。今日は久しぶりの外練習だったのに、自己ベスト更新・・・しかけたんだよ!」 柚は腰に手を当て、大げさに胸を張る。 「凄くリアクション取りづらい調子だ」 「うぉい!ナイスツッコミ!」 このこのぉ、と頬をツンツンつつかれる。いつもながら訳がわからない。でも、俺にはその訳のわからなさがツボだったりする。 「誰にでもできるツッコミだったろうよ」 「いや、できないよ!ダウンタウンの浜田でもできないよ!」 「いや、天下のツッコミ芸人に何言ってんだよ」 華麗なる手刀ツッコミをかましてやると、キャーとか何とか言いながらニ、三歩逃げ出した。部活で生じた熱でまだ赤い顔をほころばせ、また戻ってくる。俺も顔がほころぶ。 柚と一緒にいると、楽しい。 ふと、朝の小倉の言葉が蘇る。 佐々木のこと好きなんだろ?そろそろ認めろよ。 小倉が朝に言っていたように、柚は才色兼備の優等生だ。なにより、柚と一緒にいると楽しい。好きになる条件は十分に揃っているかもしれない。 でも、俺は柚のことが好きじゃない。不思議と自信を持って言える。そりゃあ、友達としては大好きだけど、一人の女性としてはそうではない。 言葉が途切れることなくマシンガントークを続けた俺たちは、いくらかして住宅に囲まれた十字路で別れた。お互いの家がここから違う方向にあるのだ。 「んじゃ、バイバイ」 「また明日!あとこれ、七海から教えてもらった別れの挨拶」 柚はそう言って、手を振る俺に向かって中指を立てた。 「青島に言いつけといてあげるわ」 「ああっ、ごめん!やっぱなし!」 慌てて両手でバツ印を作る。やっぱり面白いやつだ、あいつ。 柚に背を向け、笑いを抑えながら歩き出す。出会ったときから柚とはあんな感じだ。どうでもいいことやって、テンション上がって、またどうでもいいことやって。 ほんと、柚を好きにならなくて誰を好きになるんだろう、俺。こんなに仲のいいやつを好きになれなかったら、この先誰も好きになれない気がする。 もう、好きな人いない暦十年、か。もはや恋ってどんな感じだったか忘れてしまった。確か胸が苦しくなるんだっけ?心臓がバクバクと活発になるくせに、それがギュッと縛られて抑え込まれる感じ。よくわかんない表現だけど、そんな感じだったような気がする。十年という時間は、ずいぶんと物事をぼやつかせるようだ。 十年ねぇ・・・。それぐらい前から、柊は目標を追い続けているのか。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 まあ、いいや。たまたまだろう、うん。 なぜか後ろ髪が引かれる思いがしたけど、顔を横に振って俺は自宅に足を進めた。
|