テスト、放課後にて

夏はつらい。絵を描くときは外にいるんだけど、その外が嫌になるほど暑い。水分を常に摂らないと、本当に熱中症になりかねない。

だけど、そんな暑い場所からこんなクーラーの効いた涼しい場所に来た瞬間は最高だ。汗をもってしても下がらなかった体温が下がっていくのは、大変気持ちがいい。

「『Do As Infinity』って最近復活したけど、新曲聞いてどうだった?」

「まあまあだと思うけど」

「あたしには全然良く感じられなかったなぁ」

「そう?バラードで、結構好みだな、わたし」

隣に座っている七海と会話を楽しんでいると、到着のアナウンスが流れた。荷物を持って、そのアナウンスの通り左側のドアに向かう。

プシュー、という気の抜けた音と同時にドアが開く。元気を根こそぎ奪ってくるような熱気が中へ流れ込んできた。わたしたちはその流れに反して外に出る。

むっとした熱気が、上からも下からも押し寄せてくる。襟の辺りを持ち上げてパタパタと制服の中に空気を送り込むと、汗がひんやりとしていく分か気持ち良かった。いく分か、だけど。

「たった十分しか涼しさを味わえないなんて。早く学校に行って、クーラーにあたろ?」

「うん」

七海はだれていた。声質のせいなのかよくわからないけど、その姿にどこか色気を感じる。

七海はわたしと違って、電車には十分程度しか乗らない。割と近い場所に家がある。バスで行ける距離ではあるんだけど、電車の方が運賃が安いらしい。

「今日はテストだね」

制服をだらけさせながら七海が言った。

「うん」

「勉強してきた?」

「・・・ううん」

二人してため息をつく。

こうなることはわかっているんだけど、なぜか勉強をしてこない。できない。中学生の頃から変わらない。七海も同じらしい。

でも、七海の場合は天才型で、勉強をしなくても点が取れる。この学校で上から三十番台には常にいるらしい。

わたしは全然だめだ。下から三十番台ってところ。数学なんか、この前は最下位だった。

さすがに勉強しないといけないんだろうけど、どうしても絵のことを考えてしまう。そうしたら、もう勉強のことはどうでも良くなって、構図とかを考えるのにふけってしまう。そして気づいたら十二時で、急いで寝支度に取り掛かる。

・・・あ、昨日もそんな感じだったっけ・・・・・・。

「今日はなんだっけ?現文と世界史と・・・あともう一つ」

炎天下の中、七海が明らかに疲れた声を出す。

「多分、生物」

「理系科目・・・かぁ。せっかく文系にしたのに、これじゃあんまりよ」

わたしたちの通っている学校は、二年生から文系と理系に分かれる。何を今更と思うけど、わたしも理数系科目は嫌いだから、なんとなく気持ちはわかる。

「受験に関係するから、仕方ない」

当たり前のことを指摘しただけだけど、言ってて悲しくなってきた。わたし、行ける大学あるのかな・・・?

そういえば、全然進路のことを考えてなかったけど、わたしってかなりよろしくない位置にいる気がする。

今のままだと、国立大学は確実に無理だ。私立大学も、結構厳しいのではないだろうか。そうなると、確実に行けるところといえば、専門大学ということに・・・。

「・・・七海はどこに行くの?」

みんなはどういう進路にするのか、気になった。

「え?・・・ああ、大学のこと?明確には決まってないけど、とりあえず公立に行こうかなって思ってる」

 「・・・そっか」

一応、大体の方向性は決まっているんだ。わたしにはその方向性さえ決まっていない。

ちょっと焦る。

「あれあれ?春花ちゃん、どうしちゃったの?」

七海が頬をぺたぺたとつついてくる。その笑顔には、少しばかりSな色が見え隠れしている。

「・・・わたし、みんなと違って進路決まってないから」

最近の経験上、今のうちに本心を言った方がいいから、わたしは素直に言った。隠し続けると、今でこそ顔に薄く浮かんだS色がどんどん濃くなっていって、あの色気たっぷりの笑顔がどす黒く塗り潰されてしまう。

「そうなの?てっきり、春香ちゃんは美術系の学校に行くのかと思ってた」

「絵は描く。だけど、習うのはなんか・・・」

そこで言葉に詰まる。この気持ちは説明しづらい。

嫌と明確に言葉にするほど嫌ではなく、だからといって、習いたいとは思わない。幼少の頃に見た桜の絵。あんな絵を描きたいから頑張っているのであって、上手くなるために頑張っているわけではない。他人に教わってあの絵と違う画風が身に付いてしまったら、本末転倒だ。

ただ、あの絵の作者になら教わりたいと思う。父の友人だから、連絡は取れるはずだ。フランスに渡るのも悪くないかもしれない。

「なんか・・・何?」

七海の問いにすぐに返せない。どう言い表そうか。

そういえば、七海にはまだ言ってなかったっけ。わたしが絵を描く理由。動きが感じられる絵を描きたいってこと。そこから説明しないといけないんだ。

なぜだろう。もう言った気になっていた。不思議だな。まだ相馬君にしか言ったことないのに。

「あんまり習いたくない」

「そう。ちょっとびっくり。どうして?」

「それはね・・・」

わたしは七海に、絵を描く理由を話した。ちょっと脇道に逸れつつも、最初から最後まで、隅々まで余すことなく。

 

 

テストは散々だった。返却はもちろんまだだけど、手応えで大体わかる。

現代文はまだ良い方だった。勉強しなくてもできる部分が多いからだ。だけど、世界史と生物はそうはいかない。どちらも暗記ものだから。

たった三時限分しかやらなかったのに、球技大会に参加したかのようにぐっと疲れた。椅子から立つのも億劫だ。

テストって、こんなに面倒くさいものだったかな?前回も前々回も休んでいたから、よくわからない。

何年もやってきたことなのに、忘れるのは早い。

「ぐたーりとしてまんなー」

机に突っ伏していると、のんきな声が聞こえてきた。柚だ。

「もっとファイト一発しなきゃ!・・・飲む?」

笑顔でわたしの肩をバンバン叩き、もう片方の手に持っていたペットボトルを差し出してきた。アクエリアスだ。受け取ると、それは冷たかった。ついさっき自動販売機で買ってきたものなんだろう。

一口飲み、もう一口。体中に水分が染み渡っていくのがわかる。

「元気でた?」

「うん、出た」

わたしはかすかに笑って答えた。イェーイとなぜかハイタッチを交わし、テストの出来を報告し合う。

そして私は萎え、柚がいつものテンションで騒いでいると、どこからか帰ってきた七海が手を振りながら歩み寄ってきた。

「どこ行ってたの?」

「職員室。週番だから」

七海はおちゃらけた感じで顔をしかめた。ペロッと舌なんか出して。

そういえば、担任はあの金井先生、通称三年B組鬼の筋八先生なんだ。生徒指導担当の厳しい先生だから、七海は嫌らしい。私も苦手だ、あの先生。

「ねぇ、聞いてよ。『辱める』って漢字を間違えただけで、五分ほどずっと説教するのよ」

七海が肩を落とし、ため息をつく。

「筋ちゃん、細かいんだよね〜・・・って、『辱める』?」

「細かすぎるのよ、あの人。筋八なんだから、脳みそまで筋肉だったらよかったのに」

「さらりとひどいよね、七海。というか、『辱める』って書く機会、週番にあるの?」

「ほんとに腹立つ。靴に納豆でも仕込んでおこうかしら」

「ねーねー、七海ぃ。質問に答え・・・ひっっ!!」

悲鳴とともに、柚の顔がこわばる。七海はにっこりと妖艶に笑っているけど、同時に負のオーラをまとっているのが見える。鳥肌が治まらない。わたしでさえこれなんだから、一直線に見抜かれている柚は、死線をかいくぐっている気持ちだろう。

どうやら、ツッコミを入れてはいけなかったところだったらしい。

「・・・みんな、今日はどうするの?」

あまりにも可哀想だったので、助け舟を出すことにした。

「今日は、ねぇ・・・。なんか、春花ちゃんの絵を見てみたい気分。ね、柚?」

「イエッサー!」

ビシッと敬礼。その機敏な動きは部活で培われたものなのか、果たして・・・。

「まぁ、わたしは構わないけど」

とりあえずそのことは流して、しれっと答えておいた。無難なのが一番いい。

と、そこに。

「お、柊さん、絵を描きに行くのかい。青春だねぇ」

ゆらりと聞きなれた声が漂ってきた。その声の主も、ゆらりと漂ってきた。

「なにその、自分はもう青春が過ぎ去った、みたいな言い方」

くすくすと七海が笑う。相馬君もつられて笑う。

「実際そうだしな。・・・で、柚は何してんの?」

相馬君は不審そうな目を、未だ敬礼したまま震えている柚に向けた。すぐそばにいる七海の顔が黒くゆがむ。

寒気がわたしの背中を走り抜けていく。

「・・・まあ、いいや。で、俺も行ってもいいか?」

七海の負のオーラには気付かない様子で、相馬君はわたしに聞いてきた。彼、鈍いのかな?

「うん」

呟くように言って、少しうなずく。それだけでも悪く思っていないことがわかったのか、相馬君はにっこり笑って、ありがと、と言った。

本当に、彼は鈍いのだろうか。

七海のはっきりとしたオーラには気付かず、ちょっとした動作からわたしの真意には気付いた。鋭いのか鈍いのか、よくわからない。

いや、後者のことは、鈍いからこそわたしの言葉をバカ正直に受け取っただけとも考えられるかもしれない。そうなると、相馬君は鈍いと考えるのが妥当っぽい。

でも、それでも、あの日のことは説明がつかない。

この矛盾は、いったい何なんだろう。あの日は鋭くて、今は鈍い。たった三ヶ月で変わったわけでもないだろうし、何かしら理由があるはずだ。

「じゃあ、今日はあたしと柚とヒロ君の三人だけ?」

いったい何なんだ?

「後から追加で来る奴もいるかもしれんけど、とりあえずその三人は確定だな」

わからない。沼の底に答えがあるみたいだ。

「了解。お昼はどうするの?」

わたし、相馬君のこと、そんなに知らないのか。だから、こんなにも何も見つからないんだ。

「俺は家で食ってくるわ。最近金欠なのですよ」

彼はわたしのことを、声の調子だけで見抜いた。全部が全部ではないだろうけど、大体どんな性格かまでは悟ったんだと思う。

「そう。じゃあ、私たちは一緒に食べに行きましょうよ。ね?」

でも、わたしは違う。

「・・・春花ちゃん?」

相馬君は明るくて、面白くて、柚とのやりとりは漫才みたいで・・・・・・でも、それは本当の相馬君じゃないかもしれない。取り繕った上辺だけの性格じゃないってことを、わたしは自信をもって言えない。相馬君のように相手の心を察するのは苦手だし、まだ彼とは三ヶ月ほどの付き合いしかないから。

「うん、私も食べに行きたい。この前のうどん屋さんとか」

どのくらいかはわからないけど、わたしは遅れて答えた。明らかに「?マーク」を顔に浮かべたみんなだったけど、気遣ってくれたのか、それともいつものことだと適当に流したのか、すぐに昼食の話が再開された。

 

 

結局、高校から四、五百メートル離れたラーメン屋で昼食を取ることになった。それを決める小会議中、わたしは相馬君のことを考えていた。当然、そんなことをしているのがばれないよう、できるだけいつも通りを振舞った。

相馬君はわたしを知っている。そして、わたしは相馬君をあまり知らない。

その事実は妙に歯がゆく感じられた。

「あたし、腹ペコだよぉ。早く、早く!」

小会議場は机を三つ寄せ合わせて作ったものだったので、それを元の場所に戻しつつ、柚はウキウキ声を上げた。

「そんなに急がなくても・・・ねぇ?」

「・・・うん」

七海は微笑を、わたしは苦笑いを浮かべた。相馬君のことが引っ掛かって、素直に笑えない。

柚はそんなわたしの様子に気づかない感じで、自分のかばんを駆け足気味に取りに行く。七海もわたしの様子には気づいていないみたいだ。

こんなとき、相馬君なら気づいちゃうのかな。

・・・きっと。

気づいちゃうんだろうな。

「春にゃん、早く行こうよぉ」

駄々をこねる子供のような調子で、柚が地団駄を踏む。

「・・・うん」

短く答えて、二人の元に駆け寄る。そして、二人と共に教室を出た。

「あっ!」

何かを思い出したのか、柚は急に反転して、短距離走者の脚を使って教室に駆け込んだ。

忘れ物かな、と教室の中を見る。

もうほとんど人のいない教室の中で、柚が机の中を探っている。谷田君と香川君は今日が期限の提出物に取り組み、木村さんとその周りの女子は机の上に座って雑談している。

そんな風景の中で、わたしは七海と柚と一緒にいた。

それはついさっきのことで、ありありと想像できた。

わたしと、七海と、柚。

わたしは、一人じゃなかった。

胸の奥が熱くなる。心臓を、ましてや体中をぽかぽかさせるほどの熱量ではないけど、確かに熱くなった。

なぜだろう。わからない。わたしの頭の中にいる姿が、こうさせるのかな。

わたしと、七海と、柚。

三人が笑顔で話し、笑う。

・・・・・・。

わたし、笑ってない?

ああ、そっか。相馬君のこと考えていたんだ。だから笑っていないんだ。

胸が急激に冷えていく。

その温度差で胸が痛くなる。

わたしは一人で物思いにふけっていた。他の二人が会話している中で、一人。

つまり、自分から独りになっていた。

前のテストのときと変わらず、わたしは独りだった。せっかく独りじゃなくなるチャンスだったのに、自らそれを潰したんだ。

・・・あれ?

何でこんなこと思うんだろう。

・・・あ、そっか。そういうことか。

いまさら気づいたよ。

わたしって、自分のことすら知らなかったんだ・・・。

「おまたー」

柚が手を上げて戻ってきた。

「何を取ってきたの?」

「ムチだよん」

「相馬君のこと、本当に大好きなのね」

「違うってば!」

わたしの眼前で、どこかで見たことのある風景が繰り返されている。

このときも独りだった。そして、それが嫌だった。

毎日がつらいかった。だから、今まで自分を取り繕ってきた。絵を描くことが好きという理由を盾に、そのつらさから自分を守っていた。絵が好きだから独りでも大丈夫、と自分に言い聞かせていた。

そして、いつしか自分でも忘れてしまった。そりゃあそうだ、十年も経てば感覚が麻痺してわからなくなる。

そんなとき、相馬君と出会った。彼はわたしの盾を簡単に突き破った。十年もかけて作った盾を、だ。だから、あのとき悔しかったんだ。

・・・ついさっきだ、何もかも思い出したのは。

「・・・柚、七海」

二人がわいわい楽しそうに話しているところに、わたしの声が二人の間にポツンと立つ。会話は遮られ、二人の瞳にわたしが映る。

空気を読めてないことはわかっている。だけど、それでも言いたいことがあった。

「ありがとう、よろしく」

ありがとう、こんなわたしの友達になってくれて。もしわたしの傍に誰もいなかったら、今頃つらさに押し潰されていた。

これからもよろしくね。何もかも思い出した今、独りは嫌だと思うから。柚と七海と一緒にいたいから。

二人は戸惑っていたけど、やがて笑って、

「こちらこそ!」

と声をそろえて言った。さすがに疑問の色は多少残っていたけど。

こんなとき、相馬君なら純粋に笑って受け止めるのかな。ありのままのわたしをわかっちゃうのかな。

・・・きっと。

わかっちゃうんだろうな。

 

 

 

目次に戻る

第6話『ドクン、ドクン』に戻る

第8話『緑の髪留め、思い出の価値』

inserted by FC2 system